2023年を振り返る

2023年に入り、ロシアのウクライナ侵攻は2年目になった。ロシアは、自国の隣国であるウクライナにNATOの基地が配置されることを阻止したいと主張している。プーチンは反NATO意識を強く持っている。ウクライナ側は、ロシアによるクリミアの併合を目の当たりにし、強力な軍事力の必要性を感じたのであろう。それが国の安全保障を維持するための手段と考えたのであろう。しかし、その結果として、ロシアはウクライナに侵攻した。今振り返ると、ウクライナが自国を守るために取った判断が、皮肉にもロシアの侵攻を引き起こす結果になってしまった。

ウクライナには、他の対応方法があったであろう。例えば、中国が北朝鮮、韓国、日本を自国領土に編入することは考えにくいが、キエフ・ルーシの歴史的な背景を持つロシアによるウクライナの併合は、理論上は考えられるシナリオである。ウクライナはこの可能性を考慮に入れるべきであった。この点で、併合の恐れを持つ台湾が中国に対して慎重な外交を展開している例は参考になるだろう。ウクライナも台湾のように、より慎重な外交政策を取るべきだったのかもしれない。

小国ウクライナが大国ロシアと直接対峙するのは容易ではない。現時点でウクライナがロシアに対抗できているのは、欧米諸国からの支援によるところが大きい。ゼレンスキー大統領の手腕は、このような国際的な軍事援助を継続させることにあるだろう。しかしながら、戦況は不透明で、欧米諸国の今後の支援は確定していない。

アメリカのウクライナに対する支援は不確かな状況である。アメリカがウクライナを支援する理由は、ウクライナ自体やアメリカの直接的な利益というより、国際的な立場からロシアに対抗するためである。しかし、そうした膨大な軍事支援が長期間続くとは限らない。特に、アメリカ下院で過半数を占める共和党からは反対の声が上がり始めている。アメリカの軍事援助が低下する、あるいはなくなることになればウクライナは瞬く間にロシアに攻略されるだろう。ゼレンスキーがこの先も大統領であり続けるかどうかも不明である。

今年、国際的に注目された大きな出来事の一つは、イスラエルとパレスチナ間の紛争、イスラエルとハマスとの間の衝突である。イスラエル軍によりパレスチナ人への軍事活動は、人類史上の多くの戦争で見られるような悲劇を引き起こしている。かつては戦争そのものが人道に反する行為のカタマリのようなものであったが、21世紀において、戦争の行為が人道的観点からどのように捉えられるべきかという国際的な議論が活発化するようになった。現代では戦争における人道性がより強く求められているのである。

この観点から見て、イスラエルの行動に対する国際的な批判が増えている。世界中で戦争の停止を求める声が高まっている。イスラエルはアメリカの支持を受けているため、国際的な議論において一方的な見方はされていないが、世界的な反イスラエルの動きがアメリカの支持にどのような影響を及ぼすかはわからない。ウクライナの場合とは異なり、イスラエルとアメリカの関係は複雑で、アメリカは簡単にイスラエルとの関係を断ち切ることは難しいだろう。しかし、イスラエルへの反感がアメリカにも影響を及ぼす可能性は否定できない。中東諸国におけるイスラエルとアメリカへの反感は根深いものがある。

イスラエルとパレスチナ間の対立は、相互の報復行為の連鎖を生んでいる。イスラエルの強硬な対応がパレスチナ人の反発を引き起こし、それがさらなるイスラエル側の対応を招くという悪循環が続いている。この恨みと報復の連鎖は、両者にとって終わりのない苦悩の源となっており、この状況は容易に解決することが難しいとされている。しかしながら、その一方でイスラエルとパレスチナの問題は、よく言われるような難しく複雑な問題なのだろうかとも思う。我々はイスラエルとパレスチナの問題は難しい、複雑であると思い込んでいるだけなのではないか。争い合うことをやめて、相互に繁栄する道を見出すことはできないのだろうかと思う。かつてオスマン帝国時代には、現代のようなユダヤ人とパレスチナ人の間の激しい対立はなかった。この対立は前世紀、20世紀に入ってからの政治的・歴史的な変化によって形成されたのである。

日本について振り返ってみる。特に、東京のような大都市と地方との人口分布の偏りが顕著である。東京の都心は人が多く、活気に満ちているが、北海道や東北などの地方都市を歩いてみると驚くほど人がいない。街に活気がない。若者がいない。地方都市で若いものの姿を見るのは中学生や高校生の姿だけである。みな高校を卒業すると東京や大阪へ出ていくのだろう。西日本の状況も同様かは分からないが、人口減少は全国的な問題だろう。日本全体として、東京や大阪などの主要都市以外ではどこも人が少なくなっている。本来は、東京だけでなく日本全国の各地の都市に人々が分散し、それぞれの地域で将来性のある産業と大きな雇用があるようにすべきなのだ。しかし、現実はそのようになっておらず、そのようになろうとしているようにも見えない。まるで東京だけが発展していけばいい、地方都市は衰退すればいいかのようである。

また、給与の問題についても、一面的な議論が目立つ。給料を上げることが必要とされているが、それには生産性の向上が不可欠である。DXの推進やAI、IT技術の活用、リスキリングやリカレント教育など、生産性を上げるための具体的な手段に焦点を当てるべきなのだ。しかし、現状の議論は「給料を上げろ」という声ばかりが大きい。生産性を無視して給料だけを上げることは、長期的には事業の持続可能性を損う。このような基本的な事実を理解しないままの議論が続いているのが、日本の現状の問題点の一つなのである。

この先、日本の経済はさらに困難に直面するだろう。もっとモノがバンバン売れて、高度なサービスが高い収益を生んで、ワカイモンも年寄りも活気と希望に溢れた世の中でなくてはならない。世界に目を向けるとそうした国は数多くある。それが今の世界の姿なのだ。しかしながら、この国はそうではなく国民はどんどん貧困化している。

日本の政治については、もはや話にならないレベルなのでなにも書くことはない。

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