能登半島地震

2024年が始まった1月1日の夕方、突然、スマホの緊急地震速報が鳴り響いた。久しぶりの音である。地震が来ることを覚悟していると、やがて地震が来た。それほど強いものではなかったが、長い時間揺れていた。どこで起きた地震だろうとネットを見てみると、能登半島であるという。当初、能登半島は東北の方かと思っていたが、新潟、長野、富山のさらに南の中部地方の日本海側にあるのであった。私はこの地域の地理には疎い。かつて福井県の県立恐竜博物館へ行ったことがあるが、それも恐竜に関心があっただけで福井という場所に関心があったわけではない。石川県と言うと加賀前田家の城下町金沢があると言うことぐらいしか知らなかった。

地震については、先の東日本大震災や次の関東大震災、南海トラフなど太平洋側のプレートを意識していたが、当然のことながら日本海側でも巨大地震は起こるのであった。日本列島は、アジア大陸側のプレートの東端に沈み込む太平洋側のプレートにより、大陸と列島の間に日本海開裂が起きて今日の姿になっている。我が国は、列島全体のどこでも地震が発生するのであった。

地震が発生した1日の時点では、メディアは津波警報ばかりで、現地で何がどうなっているかの詳細な報道はまだなかった。大変な被害にはなっているだろうなとは思った。地震が起きたのは金沢のような都市部ではなく能登半島であった。今、地方は高齢化と人口減少で著しく衰退している。この衰退している。そこに震度7の巨大地震と津波が襲い、それに伴う広範囲の火災、家屋の倒壊、交通の断絶、土砂崩れが起きたということなのだ。国力が低下しているため大都市にリソースを集中し、地方を切り捨てるのが今の国の方針である。例えば東日本大震災が熊本地震がそうであったように、この能登半島地震でもまともな震災対応は行われないであろう。

2日以降になって現地の状況が次々と報道されるようになってきた。惨状とも言うべき光景である。惨状とも言うベき光景であるが、大規模地震や津波が起これば人の住む場所はどうなるかはわかりきっていることでもあった。この列島の上に人々が住むようになった時から、自然災害が発生することは当たり前だったのだ。では、災害が発生したとしてその避難者への対応や支援はどうなっているのかと言うと、100年前と同じような有様になっている。私も含め被災地の住民ではない我々は、まさに対岸の火事のように被災地を見ているが、能登半島の被災地で起きていることは、この国のどこでも起こることなのである。私は東京都民であるが、震災が起これば今の能登半島の被災者の皆さんと同じ扱いになるであろう。

本来、アメリカからトマホークやグローバルホークなどといった兵器を購入したり、マイナンバーカードにかけた予算を、毎年必ず起こる自然災害に対して、例えば今の避難所の姿を国際水準並にするために使うべきだったのだ。この国の政府は自国民を守る意識が著しく欠落しているのである。

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