映画『君たちはまだ長いトンネルの中』を見て

 映画『君たちはまだ長いトンネルの中』(監督・脚本・製作総指揮:なるせゆうせい)をアマプラで見た。

 この映画は、消費税をテーマに日本の未来について高校生たちが問いかける社会派の青春物語である。父親が財務省の官僚だった高校3年生の高橋アサミは、学校の政治経済の授業で、教師がこの国は経済大国であること言うと、すかさず、それはアベノミクスのおかげではなく、戦後の高度経済成長期からであると反論する。さらに、今の政府が巨額の財政赤字を抱えていることについても、日本銀行は自国通貨である円を発行できるため、日本政府の円建ての債務は『借金』ではないと反論する。正しい貨幣知識を学校で学ばさせるべきじゃないですかと、ことごとく論破する。

 アサミが望んでいるのは、自分たちの未来を少しでも明るくすることであり、そのためには人々の政治意識を変えたいと考えている。父親が他界し、親戚夫婦が経営する小さな食堂に引き取られた彼女は、衰退していく商店街を盛り上げるために奮闘し、商店街のお祭りの宣伝に力を入れる。当初、彼女を厄介視していたクラスメイトの男子たちも、次第に彼女を応援するようになる。アサミは商店街のお祭りを取材してもらうため、地元の新聞記者に依頼する。しかし、その上司から商店街近くのショッピングモールが新聞のスポンサーであり、商店街の宣伝をするとスポンサーが離れるかもしれないと反対される。

 新聞社から学校に戻ったアサミたちは学校を訪れていた元テレビの戦隊番組のヒーロー役者で、今はタレント国会議員になった武藤を見かけ、「総理に会わせてほしい」といきなり嘆願する。そこで彼女は「消費税を廃止してほしい」と訴える。消費税は全額が社会保障に使われるとされていたが、実際には2割しか使われていない。これはなぜなのかと問い詰め、その様子を撮影した友人がネットにその動画を公開し、瞬く間に話題となる。後日、学校で外部相談役であるもう一人の元財務省の国会議員からアサミの「問題行動」を咎められるが、彼女は自らの意見を変えることはしなかった。

 そんなある日、アサミの親代わりをしているおかみさんが病気で倒れたとの連絡を学校で受けて店に走る。店がお世話になっているという、以前、校内で会った国会議員の武藤も店に駆けつけていた。武藤は議員に成りたての頃、財務省官僚のアサミの父親から今の財政政策は間違っていることを聞かされていたのであった。今のこの国の財政には巨額の借金がある。未来にこのツケを払わせないために増税が必要である、という論法は財務省の常套手段なのである。

 財務省はプライマリーバランスの健全化を第一義としている。しかし、実際は財政赤字は「将来世代への借金」ではなく、経済全体に流れ込む民間の富の「増加」なのだ。財政赤字は将来返済しなければならない負担ではなく、むしろ経済活動を促進する手段なのである。国民経済が活性化していない現状では、プライマリーバランスの健全化をではなく、積極的な財政支出が優先されるべきなのである。

 問題は、この考えが一般に流布されていないことにある。財務省は、マスコミに影響力を持つ。財政赤字は将来世代への「借金」としていた方が増税し易い。武藤はアサミからかつてあなたは正義の戦隊ヒーローだった、真実を述べて下さいと言われたことで、なんとか奮い立ち、テレビの生トーク番組で、政府の「借金」は国民の「借金」ではないこと。消費税を増税したことで景気は回復したことはないことを述べる。そして、武藤はテレビのカメラに向かって、政治に関心を持つこと、政治家を動かすことができるのはあなたたち一人一人の意識しかないと述べる。

 もちろん、これで消費税撤廃ができるようになるわけではない。これは小さな一歩にすぎない。未来の希望を信じて、小さな一歩を踏み続けるしかない。商店街のお祭りの準備に奔走し、アサミは道路のトンネルの中で、お店の配達を手伝うために自転車のペダルを踏んでいた。

 以上がこの映画の簡単なあらすじである。

 世の中には経済に関する情報が溢れている。2024年6月の日経新聞の朝刊・電子版の購読数は234万部に達しているという。書店には数多くの経済雑誌や経済書が並び、テレビやネットでも多くの経済番組や経済動画が流れている。しかし、今の経済のあり方そのものを根本から見直す機会はほとんどない。『インサイド・ジョブ』(Inside Job)や『資本主義の救済』(Saving Capitalism)など、優れた経済ドキュメンタリー映画は多くあるが、それらを視聴しようとする一般の人々は少ない。

 その点で、『君たちはまだ長いトンネルの中』(通称「君トン」)は、女子高生の青春物語を通じて、今の経済政策の真実を知ることができる、親しみやすい作品になっている。また、加藤小夏が演じる高橋アサミのキャラクターが秀逸である。複雑な経済用語を交えた長台詞が多いが、それが自然に感じられ、映画を見ていて、このキャラクターの個性として無理なく受け入れることができる。

 この映画で重要なことは、反緊縮財政、積極財政はプライマリー・バランスの健全化をしない、とは言っていないということだ。アサミはインフレ率2%までは世の中にお金を配ってもなにも問題ないと言う。なにもどんどんお金を刷ればいいと言っているわけではない。「インフレ率2%まで」という限度があるということだ。インフレ率が2%に達したら、法人税の増税や累進課税の強化を行い、市場に出回っているお金を回収するのである。

 積極財政は、いわば国民の経済を活性化させるための一時的な手段でしかない。今の緊縮財政のままではプライマリー・バランスを健全にするためには増税を繰り返すしかない。しかし経済を好景気にし、税収が上がればプライマリー・バランスは健全化へ向かう。いわば、長期的なプライマリー・バランスの健全化のための政策なのである。

 もうひとつこの映画で重要なことは、アサミは脱成長とか、グリーンエコノミーとか、持続可能な開発・発展とか、反戦とか、反核とかいうことを一切言っていないということだ。今の日本の左派は脱成長を好む。私もこのブログで環境問題のためにグリーンエコノミーが必要だとか、資本主義はもう限界にきている、これからは経済の成長はもうやめよう、みたいなことを書いてきたと思う。欧米の左派は、バーニー・サンダースもアレクサンドリア・オカシオ=コルテスもジェレミー・コービンも脱成長を言っていない。経済成長をしないとは言っていない。

 もう経済成長はしない、できない、景気を良くしなくていい、これからは内面を豊かにしていきましょう、では人々は支持しない。脱成長では、明日の食べるものを心配して暮らしている人々はついていかない。今の経済成長のイメージは、誰かが豊かになると誰かが貧しくなるという市場競争と弱肉強食のイメージでしかない。本来、経済が成長する、景気が良くなるとは全体のパイが大きくなることであり、みんな豊かになるということであった。経済が成長して、みんなが豊かになるという高度成長の時代にはあったイメージが、1990年代以後にはなくなってしまった。

 アサミが言っているのは、大企業も中小企業も個人商店も、自由業もフリーランスも、公務員も民間企業も、製造業もサービス業も、非営利団体も、などなど、みんながみんなで豊かになろう、ということなのである。これからのこの国で暮らす人々にとって、全国民を覆う「健全な経済成長」が必要なのだ。日本の左派の脱成長はこのことを理解していない。そのことを、私はこの映画から教わったように思う。

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