映画『君たちはまだ長いトンネルの中』を見て

 映画『君たちはまだ長いトンネルの中』(監督・脚本・製作総指揮:なるせゆうせい)をアマプラで見た。

 この映画は、消費税をテーマに日本の未来について高校生たちが問いかける社会派の青春物語である。父親が財務省の官僚だった高校3年生の高橋アサミは、学校の政治経済の授業で、教師がこの国は経済大国であること言うと、すかさず、それはアベノミクスのおかげではなく、戦後の高度経済成長期からであると反論する。さらに、今の政府が巨額の財政赤字を抱えていることについても、日本銀行は自国通貨である円を発行できるため、日本政府の円建ての債務は『借金』ではないと反論する。正しい貨幣知識を学校で学ばさせるべきじゃないですかと、ことごとく論破する。

 アサミが望んでいるのは、自分たちの未来を少しでも明るくすることであり、そのためには人々の政治意識を変えたいと考えている。父親が他界し、親戚夫婦が経営する小さな食堂に引き取られた彼女は、衰退していく商店街を盛り上げるために奮闘し、商店街のお祭りの宣伝に力を入れる。当初、彼女を厄介視していたクラスメイトの男子たちも、次第に彼女を応援するようになる。アサミは商店街のお祭りを取材してもらうため、地元の新聞記者に依頼する。しかし、その上司から商店街近くのショッピングモールが新聞のスポンサーであり、商店街の宣伝をするとスポンサーが離れるかもしれないと反対される。

 新聞社から学校に戻ったアサミたちは学校を訪れていた元テレビの戦隊番組のヒーロー役者で、今はタレント国会議員になった武藤を見かけ、「総理に会わせてほしい」といきなり嘆願する。そこで彼女は「消費税を廃止してほしい」と訴える。消費税は全額が社会保障に使われるとされていたが、実際には2割しか使われていない。これはなぜなのかと問い詰め、その様子を撮影した友人がネットにその動画を公開し、瞬く間に話題となる。後日、学校で外部相談役であるもう一人の元財務省の国会議員からアサミの「問題行動」を咎められるが、彼女は自らの意見を変えることはしなかった。

 そんなある日、アサミの親代わりをしているおかみさんが病気で倒れたとの連絡を学校で受けて店に走る。店がお世話になっているという、以前、校内で会った国会議員の武藤も店に駆けつけていた。武藤は議員に成りたての頃、財務省官僚のアサミの父親から今の財政政策は間違っていることを聞かされていたのであった。今のこの国の財政には巨額の借金がある。未来にこのツケを払わせないために増税が必要である、という論法は財務省の常套手段なのである。

 財務省はプライマリーバランスの健全化を第一義としている。しかし、実際は財政赤字は「将来世代への借金」ではなく、経済全体に流れ込む民間の富の「増加」なのだ。財政赤字は将来返済しなければならない負担ではなく、むしろ経済活動を促進する手段なのである。国民経済が活性化していない現状では、プライマリーバランスの健全化をではなく、積極的な財政支出が優先されるべきなのである。

 問題は、この考えが一般に流布されていないことにある。財務省は、マスコミに影響力を持つ。財政赤字は将来世代への「借金」としていた方が増税し易い。武藤はアサミからかつてあなたは正義の戦隊ヒーローだった、真実を述べて下さいと言われたことで、なんとか奮い立ち、テレビの生トーク番組で、政府の「借金」は国民の「借金」ではないこと。消費税を増税したことで景気は回復したことはないことを述べる。そして、武藤はテレビのカメラに向かって、政治に関心を持つこと、政治家を動かすことができるのはあなたたち一人一人の意識しかないと述べる。

 もちろん、これで消費税撤廃ができるようになるわけではない。これは小さな一歩にすぎない。未来の希望を信じて、小さな一歩を踏み続けるしかない。商店街のお祭りの準備に奔走し、アサミは道路のトンネルの中で、お店の配達を手伝うために自転車のペダルを踏んでいた。

 以上がこの映画の簡単なあらすじである。

 世の中には経済に関する情報が溢れている。2024年6月の日経新聞の朝刊・電子版の購読数は234万部に達しているという。書店には数多くの経済雑誌や経済書が並び、テレビやネットでも多くの経済番組や経済動画が流れている。しかし、今の経済のあり方そのものを根本から見直す機会はほとんどない。『インサイド・ジョブ』(Inside Job)や『資本主義の救済』(Saving Capitalism)など、優れた経済ドキュメンタリー映画は多くあるが、それらを視聴しようとする一般の人々は少ない。

 その点で、『君たちはまだ長いトンネルの中』(通称「君トン」)は、女子高生の青春物語を通じて、今の経済政策の真実を知ることができる、親しみやすい作品になっている。また、加藤小夏が演じる高橋アサミのキャラクターが秀逸である。複雑な経済用語を交えた長台詞が多いが、それが自然に感じられ、映画を見ていて、このキャラクターの個性として無理なく受け入れることができる。

 この映画で重要なことは、反緊縮財政、積極財政はプライマリー・バランスの健全化をしない、とは言っていないということだ。アサミはインフレ率2%までは世の中にお金を配ってもなにも問題ないと言う。なにもどんどんお金を刷ればいいと言っているわけではない。「インフレ率2%まで」という限度があるということだ。インフレ率が2%に達したら、法人税の増税や累進課税の強化を行い、市場に出回っているお金を回収するのである。

 積極財政は、いわば国民の経済を活性化させるための一時的な手段でしかない。今の緊縮財政のままではプライマリー・バランスを健全にするためには増税を繰り返すしかない。しかし経済を好景気にし、税収が上がればプライマリー・バランスは健全化へ向かう。いわば、長期的なプライマリー・バランスの健全化のための政策なのである。

 もうひとつこの映画で重要なことは、アサミは脱成長とか、グリーンエコノミーとか、持続可能な開発・発展とか、反戦とか、反核とかいうことを一切言っていないということだ。今の日本の左派は脱成長を好む。私もこのブログで環境問題のためにグリーンエコノミーが必要だとか、資本主義はもう限界にきている、これからは経済の成長はもうやめよう、みたいなことを書いてきたと思う。欧米の左派は、バーニー・サンダースもアレクサンドリア・オカシオ=コルテスもジェレミー・コービンも脱成長を言っていない。経済成長をしないとは言っていない。

 もう経済成長はしない、できない、景気を良くしなくていい、これからは内面を豊かにしていきましょう、では人々は支持しない。脱成長では、明日の食べるものを心配して暮らしている人々はついていかない。今の経済成長のイメージは、誰かが豊かになると誰かが貧しくなるという市場競争と弱肉強食のイメージでしかない。本来、経済が成長する、景気が良くなるとは全体のパイが大きくなることであり、みんな豊かになるということであった。経済が成長して、みんなが豊かになるという高度成長の時代にはあったイメージが、1990年代以後にはなくなってしまった。

 アサミが言っているのは、大企業も中小企業も個人商店も、自由業もフリーランスも、公務員も民間企業も、製造業もサービス業も、非営利団体も、などなど、みんながみんなで豊かになろう、ということなのである。これからのこの国で暮らす人々にとって、全国民を覆う「健全な経済成長」が必要なのだ。日本の左派の脱成長はこのことを理解していない。そのことを、私はこの映画から教わったように思う。

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経済学を学び直す

 数ヶ月前のことである。『はじめての経済思想史』中村隆之(講談社現代新書)を読んだ。読み終わって考えた。思えば自分はまともに経済思想を学んでこなかった、と。

 なぜ、きちんと学んでこなかったのか。理由は二つある。

 一つ目は、自分は経済思想史の基本中の基本すらわかっていない、ということがわかったからである。上記の『はじめての経済思想史』は、アダム・スミスから始まり、J・S・ミル、マーシャル、ケインズ、マルクス、ハイエク、フリードマン、そして現代における会社の所有権の概念について書かれたものである。

 作者は「はじめに」の中でこう述べている。

「経済学の始まりであるアダム・スミスは18世紀の人なので、その歴史は250年ほどである。その間、何人もの偉大な経済学者がいるし、経済のあり方も変わってきている。けれども、大きな問いは変わっていない。どうすればよいお金儲けを促進し、悪いお金儲けを抑制できるか、である。経済学の歴史は、さまざまな悪いお金儲けが力を持ってしまうたびに、それに対抗する手段を講じていくというかたちで展開されてきた、と言えるだろう。」

 この本は上記の観点を軸として、経済学の歴史を捉えたものである。その内容は簡潔にわかりやすく見事に整理されており、私はこの本から多くを学んだ。なるほどそうだったのか。経済思想とはつまり「どうすればよいお金儲けを促進し、悪いお金儲けを抑制できるか」ということだったのかと思い知った。もちろん、経済思想とはそれだけではないのだが、この本は一つの観点についてこれまでの経済学者はどのように考えてきたのかを論じることによって、経済思想史を学ぶことのおもしろさを感じることができる良い入門書であった。だからこそ、逆に自分の知識に欠落しているものを知ることができた。歳をとって良い入門書を読むということはそういうことなのであろう。

 特に経済史の基本中の基本であるアルフレッド・マーシャルについて、初めて知ったということが多かった。この歳になって、である。私は新古典派経済学についての知識が著しく欠落しているのである。これはイカンと思った。

 1980年代から今日に至るまでの社会と経済の覇権的イデオロギーとも言うベきものが、ハイエクとフリードマンを代表とする新自由主義である。このハイエクとフリードマンの本を、私はきちんと読んでいない。学生時代、フリードマンの「選択の自由」はさらっと読んだだけである。ハイエクの本はおそらく1ページも読んでいないであろう。これもイカン。きちんと読まねばと思った。いや、そもそも「国富論」ですら、最初から最後のページまで読んだかと言うと読んでいない。

 理由の二つ目は、大学生の時、私は当時ブームだったニュー・アカデミズムの影響もあって経済人類学のカール・ポランニーについて本を読み、ものを書いていた。しかし今思うと、経済思想史の中でカール・ポランニーは異端派と呼ばれるのであるが、なぜ「異端」派になるのか。そもそもアダム・スミスから始まる経済思想史の中でカール・ポランニーはどのように位置づけられるのか、などということについては私はなにも答えられなかった。

 私は経済学よりも、歴史学や人類学としてのカール・ポランニーに関心を持っていたのである。マルセル・モースやブロニスワフ・マリノフスキ、マーシャル・サーリンズといった人類学の系譜の中にカール・ポランニーを位置づけることは考えてきたが、経済学、経済思想としてどうなのかということは考えてこなかった。これは大学を出てから30年以上たった今でも同じである。

 この国について言えば、この30年間はバブルからアベノミクスの終焉の時代だった。この期間で、人々の暮らしは確実に悪くなった。貧困と格差が広がり、非正規雇用が急増し、社会保障制度は行き詰まり、教育と文化は劣化し、メディアは商業主義化し、環境破壊は進展し、政治は人々の暮らしを見捨て、官僚は自己保身に走り、民主主義は機能しなくなった。これから、この国はもっと悪くなるであろう。

 しかし、経済思想とはつまり本来「どうすればよいお金儲けを促進し、悪いお金儲けを抑制できるか」なのである。悪いお金儲けを抑制し、行うべき産業を行っていかなくてならない。新自由主義が時代の枠組みになっている今、新しい産業社会を模索することに希望を見いだしたい。新しい経済思想とは、どのようなものであるべきなのか。異端派と呼ばれるカール・ポランニーの思想は、そこにどのような意味を持つのか。かつて私は「資本主義」について考えていた。30年後の今、もう一度「資本主義」について考えてみたくなったのである。

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イスラエルとハマスの戦争 その2

 イスラエルとハマスの戦争、あるいはパレスチナ問題を理解するために、読むべき本の筆頭として挙げたいのが以下の2冊である。

『ガザとは何か』岡真理(大和書房)
『中学生から知りたい パレスチナのこと』岡真理・小山哲・藤岡辰史(ミシマ社)

 パレスチナ問題については、よく「複雑な歴史がある」と言われる。確かにその側面もあるが、イスラエルがパレスチナで行っていることは侵略と虐殺であることは否定できない。1947年、国連がパレスチナの人々の意思を無視してパレスチナを分割し、ユダヤ国家を創設したことは、どう考えてもおかしい。なぜパレスチナ人が難民となり、イスラエルがガザで何を行ってきたのかを考えると、イスラエルの行為がいかに間違ったことであるかがわかる。

 ユダヤ問題には長い複雑な歴史があるが、だからパレスチナに対して何をしても良い理由にはならない。イスラエルが行っているのは、パレスチナへの侵略であり虐殺である。「双方に問題がある」のではなく、イスラエルがパレスチナへの侵略を行っている一方で、ハマスは侵略に対する抵抗運動を行っているのである。こうした明確な視点を教えてくれたのが、上記の2冊であった。私自身、パレスチナ問題についてこれまでいくつかの本を読んできたが、イスラエルが間違っていることを正面から教えてくれたのは上記の2冊である。

 さらに、上記の本は次のようにも述べている。

「参政権をもつ、日本国家の構成員である私は、イスラエルによるガザのジェノサイドと、その陰でヨルダン川西海岸地区で進行するすさまじい民族浄化の暴力について批判するとき、この日本という国がかつて中国で、朝鮮で、台湾で脱植民地化のために戦う者たちをすさまじい暴力で殲滅してきたという歴史的な事実に対する批判なしに、あるいは植民地支配のため、非植民者の監視管理に起源をもつ入管法によって今、非正規滞在者が人権の番外地に置かれ。毎年のように入管の収容施設で亡くなっている事実を批判することなく、イスラエルを批判することはできません。」
岡真理「ヨーロッパ問題としてのパレスチナ問題」(「中学性から知りたい パレスチナのこと」より)

 パレスチナの人々に対する暴力は、かつて私たち日本人が中国や朝鮮、台湾で行ってきた暴力と同じである。100年前の関東大震災の際、中国人や朝鮮人であるという理由だけで殺戮され、言葉が違うというだけで地方の人々が殺されたことと同じなのだ。もちろん、政策レベルで見れば、日本がかつて行った台湾統治、朝鮮統治や満州国建国と、イスラエルがパレスチナに対して行っていることには違いがある。日本の植民地政策は、少なくとも「アジアを欧米の侵略から守り、近代化を推進する」という建前があり、インフラの構築や産業の促進、教育制度の整備などが進められた。その政策には功罪があったが、イスラエルの行為には「功」はなく「罪」しかないと言えるだろう。

 イスラエルがなぜ建国されたのか、その背景には反ユダヤ主義が存在する。なぜ反ユダヤ主義が生まれたのか、なぜヨーロッパはユダヤ人と共存する社会を築けなかったのか。この問題は、単に宗教的・民族的な対立に起因するものではなく、15世紀以後、ヨーロッパは非ヨーロッパ地域を暴力をもって蹂躙し支配してきた、その歴史的構造の延長線上に今もあるということにある。それは20世紀で終わったわけではない。その歴史の残滓は21世紀の今なお存在し、そのひとつがパレスチナ問題なのである。問うべきこと、考えるべきことはここなのだ。

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イスラエルとハマスの戦争

 1月20日付の毎日新聞によれば、「バイデン米大統領は19日、イスラエルのネタニヤフ首相と電話協議し、イスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘が終結した後のパレスチナ自治区ガザ地区の統治について、パレスチナ国家の樹立を前提とした「2国家共存」の重要性を強調した。」という。しかしながら、「ネタニヤフ氏は18日の記者会見で「2国家共存」について否定し、ガザ地区を「安全保障面でイスラエルの管理下に置く」などと述べていた。」という。

 ネタニヤフはパレスチナをこの世から殲滅したいのであろう。さらにイスラエルは、ハマスを支援するイランやレバノンのヒズボラにも攻撃をしており、イランはイスラエルに報復の可能性を表明している。ハマスのテロ行為に対する報復から始まったこの戦争は、イスラエルとイランの戦争に拡大する状況へとなってきた。これにロシアが関与してくるかもしれない。アメリカ・イスラエルとロシア・イランの対立の構図になれば、さらに大規模な戦争になるであろう。

 ただし、アメリカもそこまでイスラエルに肩入れをすれば、国際世論のイスラエル非難の矛先が自国に向けられることはよくわかっている。また、今年は大統領選挙がある。アメリカ国内にもイスラエル非難の声が多い。特に若い世代は戦争の即時停止を求めている。それらを踏まえると、バイデン大統領は今のイスラエルを支持することを直接的に表明することはできないのではないかと思う。また、ロシアはウクライナ戦争をしており、これもイランを本格的に支援することはできないのではないかと思う。だとすると大国の介入はなく、いつまでも問題解決の出口は見えず、戦争が続くという状態になるのではないか。

 その一方で、イスラエルの世論はこうした戦争の拡大を望んでいない。このまま戦争が長期化すると、イスラエルの経済に悪影響を及ぼすことになる。イスラエル軍によるガザ地区への攻撃は、もはやジェノサイドといっても良いものになっている。これについて世界の人々はイスラエルを非難している。国際社会からイスラエルは孤立化していくことになれば、イスラエルの世論でネタニヤフ政権への不満が高まるであろう。パレスチナへのジェノサイドは続き、戦争は拡大の一途をたどる。そうなった場合、それでもなお、イスラエルの世論はネタニヤフを支持するかどうかである。そうなれば、ネタニヤフを首相の座から下ろす政変が起こるかもしれない。

 もちろん、仮にネタニヤフ政権ではなくなったとしても、イスラエルという国は、その周辺国、つまりはパレスチナを含めたアラブ諸国の人々そのものに対して、イスラエルに敵対的行為を行った場合、人権というものがあるとは認識していないという歴史的な構造は変わることはない。この構造がある限り、イスラエルのパレスチナへの規定を越えた入植とアパルトヘイトは終わることはない。

 それではガザ地区はどうなるのであろうか。ハマスがこのままであり続けるとなると停戦はできないだろう。ハマスは排除せざる得ない。ヨルダン側西岸のパレスチナ暫定自治政府がこの先、ガザ地区を統治できるかどうかである。これについては今後イランがハマスとではなく、パレスチナ暫定自治政府とどう関わるかが大きな意味を持つのではないだろうか。そして、これまでイスラエルがパレスチナに行ってきたことに、アメリカがイスラエルを支持しようがしまいが、どう考えても正当性はないことを国際社会の共通意識とするべきである。

 今後の中東情勢を見続けていきたい。

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能登半島地震

2024年が始まった1月1日の夕方、突然、スマホの緊急地震速報が鳴り響いた。久しぶりの音である。地震が来ることを覚悟していると、やがて地震が来た。それほど強いものではなかったが、長い時間揺れていた。どこで起きた地震だろうとネットを見てみると、能登半島であるという。当初、能登半島は東北の方かと思っていたが、新潟、長野、富山のさらに南の中部地方の日本海側にあるのであった。私はこの地域の地理には疎い。かつて福井県の県立恐竜博物館へ行ったことがあるが、それも恐竜に関心があっただけで福井という場所に関心があったわけではない。石川県と言うと加賀前田家の城下町金沢があると言うことぐらいしか知らなかった。

地震については、先の東日本大震災や次の関東大震災、南海トラフなど太平洋側のプレートを意識していたが、当然のことながら日本海側でも巨大地震は起こるのであった。日本列島は、アジア大陸側のプレートの東端に沈み込む太平洋側のプレートにより、大陸と列島の間に日本海開裂が起きて今日の姿になっている。我が国は、列島全体のどこでも地震が発生するのであった。

地震が発生した1日の時点では、メディアは津波警報ばかりで、現地で何がどうなっているかの詳細な報道はまだなかった。大変な被害にはなっているだろうなとは思った。地震が起きたのは金沢のような都市部ではなく能登半島であった。今、地方は高齢化と人口減少で著しく衰退している。この衰退している。そこに震度7の巨大地震と津波が襲い、それに伴う広範囲の火災、家屋の倒壊、交通の断絶、土砂崩れが起きたということなのだ。国力が低下しているため大都市にリソースを集中し、地方を切り捨てるのが今の国の方針である。例えば東日本大震災が熊本地震がそうであったように、この能登半島地震でもまともな震災対応は行われないであろう。

2日以降になって現地の状況が次々と報道されるようになってきた。惨状とも言うべき光景である。惨状とも言うベき光景であるが、大規模地震や津波が起これば人の住む場所はどうなるかはわかりきっていることでもあった。この列島の上に人々が住むようになった時から、自然災害が発生することは当たり前だったのだ。では、災害が発生したとしてその避難者への対応や支援はどうなっているのかと言うと、100年前と同じような有様になっている。私も含め被災地の住民ではない我々は、まさに対岸の火事のように被災地を見ているが、能登半島の被災地で起きていることは、この国のどこでも起こることなのである。私は東京都民であるが、震災が起これば今の能登半島の被災者の皆さんと同じ扱いになるであろう。

本来、アメリカからトマホークやグローバルホークなどといった兵器を購入したり、マイナンバーカードにかけた予算を、毎年必ず起こる自然災害に対して、例えば今の避難所の姿を国際水準並にするために使うべきだったのだ。この国の政府は自国民を守る意識が著しく欠落しているのである。

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2023年を振り返る

2023年に入り、ロシアのウクライナ侵攻は2年目になった。ロシアは、自国の隣国であるウクライナにNATOの基地が配置されることを阻止したいと主張している。プーチンは反NATO意識を強く持っている。ウクライナ側は、ロシアによるクリミアの併合を目の当たりにし、強力な軍事力の必要性を感じたのであろう。それが国の安全保障を維持するための手段と考えたのであろう。しかし、その結果として、ロシアはウクライナに侵攻した。今振り返ると、ウクライナが自国を守るために取った判断が、皮肉にもロシアの侵攻を引き起こす結果になってしまった。

ウクライナには、他の対応方法があったであろう。例えば、中国が北朝鮮、韓国、日本を自国領土に編入することは考えにくいが、キエフ・ルーシの歴史的な背景を持つロシアによるウクライナの併合は、理論上は考えられるシナリオである。ウクライナはこの可能性を考慮に入れるべきであった。この点で、併合の恐れを持つ台湾が中国に対して慎重な外交を展開している例は参考になるだろう。ウクライナも台湾のように、より慎重な外交政策を取るべきだったのかもしれない。

小国ウクライナが大国ロシアと直接対峙するのは容易ではない。現時点でウクライナがロシアに対抗できているのは、欧米諸国からの支援によるところが大きい。ゼレンスキー大統領の手腕は、このような国際的な軍事援助を継続させることにあるだろう。しかしながら、戦況は不透明で、欧米諸国の今後の支援は確定していない。

アメリカのウクライナに対する支援は不確かな状況である。アメリカがウクライナを支援する理由は、ウクライナ自体やアメリカの直接的な利益というより、国際的な立場からロシアに対抗するためである。しかし、そうした膨大な軍事支援が長期間続くとは限らない。特に、アメリカ下院で過半数を占める共和党からは反対の声が上がり始めている。アメリカの軍事援助が低下する、あるいはなくなることになればウクライナは瞬く間にロシアに攻略されるだろう。ゼレンスキーがこの先も大統領であり続けるかどうかも不明である。

今年、国際的に注目された大きな出来事の一つは、イスラエルとパレスチナ間の紛争、イスラエルとハマスとの間の衝突である。イスラエル軍によりパレスチナ人への軍事活動は、人類史上の多くの戦争で見られるような悲劇を引き起こしている。かつては戦争そのものが人道に反する行為のカタマリのようなものであったが、21世紀において、戦争の行為が人道的観点からどのように捉えられるべきかという国際的な議論が活発化するようになった。現代では戦争における人道性がより強く求められているのである。

この観点から見て、イスラエルの行動に対する国際的な批判が増えている。世界中で戦争の停止を求める声が高まっている。イスラエルはアメリカの支持を受けているため、国際的な議論において一方的な見方はされていないが、世界的な反イスラエルの動きがアメリカの支持にどのような影響を及ぼすかはわからない。ウクライナの場合とは異なり、イスラエルとアメリカの関係は複雑で、アメリカは簡単にイスラエルとの関係を断ち切ることは難しいだろう。しかし、イスラエルへの反感がアメリカにも影響を及ぼす可能性は否定できない。中東諸国におけるイスラエルとアメリカへの反感は根深いものがある。

イスラエルとパレスチナ間の対立は、相互の報復行為の連鎖を生んでいる。イスラエルの強硬な対応がパレスチナ人の反発を引き起こし、それがさらなるイスラエル側の対応を招くという悪循環が続いている。この恨みと報復の連鎖は、両者にとって終わりのない苦悩の源となっており、この状況は容易に解決することが難しいとされている。しかしながら、その一方でイスラエルとパレスチナの問題は、よく言われるような難しく複雑な問題なのだろうかとも思う。我々はイスラエルとパレスチナの問題は難しい、複雑であると思い込んでいるだけなのではないか。争い合うことをやめて、相互に繁栄する道を見出すことはできないのだろうかと思う。かつてオスマン帝国時代には、現代のようなユダヤ人とパレスチナ人の間の激しい対立はなかった。この対立は前世紀、20世紀に入ってからの政治的・歴史的な変化によって形成されたのである。

日本について振り返ってみる。特に、東京のような大都市と地方との人口分布の偏りが顕著である。東京の都心は人が多く、活気に満ちているが、北海道や東北などの地方都市を歩いてみると驚くほど人がいない。街に活気がない。若者がいない。地方都市で若いものの姿を見るのは中学生や高校生の姿だけである。みな高校を卒業すると東京や大阪へ出ていくのだろう。西日本の状況も同様かは分からないが、人口減少は全国的な問題だろう。日本全体として、東京や大阪などの主要都市以外ではどこも人が少なくなっている。本来は、東京だけでなく日本全国の各地の都市に人々が分散し、それぞれの地域で将来性のある産業と大きな雇用があるようにすべきなのだ。しかし、現実はそのようになっておらず、そのようになろうとしているようにも見えない。まるで東京だけが発展していけばいい、地方都市は衰退すればいいかのようである。

また、給与の問題についても、一面的な議論が目立つ。給料を上げることが必要とされているが、それには生産性の向上が不可欠である。DXの推進やAI、IT技術の活用、リスキリングやリカレント教育など、生産性を上げるための具体的な手段に焦点を当てるべきなのだ。しかし、現状の議論は「給料を上げろ」という声ばかりが大きい。生産性を無視して給料だけを上げることは、長期的には事業の持続可能性を損う。このような基本的な事実を理解しないままの議論が続いているのが、日本の現状の問題点の一つなのである。

この先、日本の経済はさらに困難に直面するだろう。もっとモノがバンバン売れて、高度なサービスが高い収益を生んで、ワカイモンも年寄りも活気と希望に溢れた世の中でなくてはならない。世界に目を向けるとそうした国は数多くある。それが今の世界の姿なのだ。しかしながら、この国はそうではなく国民はどんどん貧困化している。

日本の政治については、もはや話にならないレベルなのでなにも書くことはない。

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北旅行記1

去年から幾度となく北海道を旅している。その度、旅先や自宅に帰ってからその旅行について書いてきた。ひとつの旅行をする度に、それについての紀行文を自分のブログに載せていこうと思っていた。

ところが書いてはいるが、なかなかまとまらない。少し書いてはそのまま断片的な文章で終わり、やがて次の旅に出て行くという有様になった。かくして北海道や東北への旅行をしつつも、それについて書いたのものを表に出すということをしてこなかった。旅行についてだけではなく、世の中の出来事について時折、書いてはいるのだが、それをこのブログに載せることなくDropboxの中に置かれ続けている。

というわけで、去年からの北海道の旅について、Dropboxの中に保存してきたものを書き改めて、これから数回にわけて不定期にポストしていこうと思う。どこまで続けられるかわからないが、とりあえず始めてみたい。

去年の3月、北海道へ行こうと思った。

自分の中で漠然と北海道についての歴史的な関心を持ち始めたのは、司馬遼太郎の『菜の花の沖』を読んでからである。さらに深く考えるようになったのは『街道をゆく』の「北のまほろば」と「オホーツク街道」を読んでからである。ここに書かれている司馬さんの北方の歴史への視点が大変興味深かった。司馬さんにはアジア大陸の遊牧民への想いがあるためか、日本の歴史について、米を主食とする農業社会が最初から日本全土にあって、それがそのまま歴史を経てきたわけではないという考えがある。考えというか、歴史を学べばこれはその通りの事実なのである。

この国の政権は、そのルーツを辿ると7世紀頃に近畿地方の大和平野で誕生した政権を継承している。この政権は米を主食とする人々によって作られた。西日本で普及していた稲作を、東日本に広げることを良しとしている。この政権から見ると稲作をしない民は夷狄であり、それらの民に稲作をさせて支配下に置くというのがこの政権の基本方針であった。当然のことながら、この列島の西にも東にも米を主食としない人々がいた。近畿地方の政権からすれば、彼らは米を作ることをさせるべき相手であり、征討すべき者たちであった。

彼らからすれば、近畿地方の政権は侵略者である。関東以北が近畿地方の政権の支配下に置かれるようになってから、遙かな年月を経た後の世の人々である我々は、例えば東北というと「貧しい」「遅れている」といったネガティブなイメージを持つかもしれない。しかし「貧しい」とか「遅れている」どころか、古代の東北や蝦夷地は狩猟採集の食料が豊富な豊かな地域だった。北アジアと交易を行い、大いに栄えていた場所だった。律令国家体制に組み込まれることで、北方は「貧しい」とか「遅れている」とか思われるようになったのである。蝦夷地は稲作ができない場所であるためか律令国家体制に組み込まれることはなかったが、江戸時代は松前藩によるアイヌへの搾取が行われていた。

北海道のことを考える時、その歴史について考えざるを得ない。いわゆる先住民という観点から考えるのならば、北海道だけの話ではなく、日本列島の各地そのものに先住の人々がいて、その文化があった。先住とは何に対しての先住なのかといえば、稲作を行い米を主食とする人々に対しての先住である。太古のそもそもの最初に、この列島の各地に住んでいた人々は稲作をして暮らす住民ではなかった。近畿地方の政権が、この列島の各地の先住文化を滅ぼしていった。滅ぼしていったというか、稲作を行い米を主食する大和朝廷を源とする政権の社会の文化の中に融合していったという方が正確であろう。

では、蝦夷地に住んでいたアイヌもまた、かつてこの列島の各地に住み、やがて近畿の政権に組み込まれていった先住民たちと同じなのかというと、そのへんの理解がややこしい。例えば、東北地方が大和政権の支配下とされてきたのは6世紀頃の時代であるが、東方地方のさらに先の津軽海峡を越えた向こう側に広がる広大な蝦夷地が大和朝廷を源とする政権の支配下に置かれ、和人による本格的な開拓が始まったのは19世紀からである。東北の蝦夷(えみし)が大和政権と出会ったのは千年以上前のことであり、その後様々なことがあったが現代の時点では蝦夷(えみし)は「和人」の枠の中に収まっている。蝦夷地は和人によって「北海道」と命名されてからまだ150年しか経ておらず、アイヌと和人の間には生々しいものがある。

そんなことを考えながら北海道や東北を歩いてみたかった。

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2022年を振り返る 

今年も依然として新型コロナの感染は終息することはなく、高い感染者数になっている。その一方で感染対策は緩和し始めている。社会全体としては、新型コロナの脅威についての慣れも出てきたのだろう。訪日外国人によるインバウンド消費や国内旅行需要が伸びているという。私自身も今年は北海道に3回、青森に1回、旅行に行っている。他にも平泉の奥州藤原氏の史跡や花巻の宮沢賢治記念館、仙台や群馬の縄文遺跡を見てきた。もっとも、まだ外国人の新規入国制限の見直しの前の時だったので、外国人旅行者の姿を見かけることはなかった。都内で最近は外国人旅行者をよく見かける。日本の各地の観光地でもそうなのだろう。

観光というのは、世界的に巨大な産業になっており、国際的なビジネスの観点から見ても、日本文化の教育、啓蒙の観点から見ても大変大きな意味を持つ。これからの日本の重要な産業になるのであるが、それに対応した制度や人材教育がまだまだ遅れている。パンデミックが起ころうともロシアがウクライナに侵攻しようとも、米中対立が深刻化しようとも、北朝鮮がミサイルを発射しようとも、それでもこの世界はボーダーレスにつながりあっている。

気候変動については斎藤幸平さんが書いていたが、COP(気候変動枠組条約締約国会議)は、もはやなんの意味を持たないものになっている。地球の平均気温の上昇を産業革命時のレベルから1.5度以内に抑えるなどということは、ほとんど絵にかいた餅である。どの国も本気でこれをやろうと思っていない。今後、地球環境は本格的に危険な状況になり、食糧危機や自然災害が多発していくことは避けられない。温暖化は、これからも進んでいくということを前提として、いかに避けるかではなく、いかに被害を少なくするかを考えるべきだろう。

政治については防衛費増額のために増税をするとか、もはや理解し難い。トマホークを何百発そろえようと、中国の軍事力からみれば脅威でもなんでもない。これを敵(中国)基地攻撃能力と言うのは、もはやお笑いである。小国日本が大国中国に軍事的に対抗できるのはサイバー戦だ。巡航ミサイルや長距離ミサイルを持つよりも、サイバー戦の戦力を拡充すべきなのであるが、そもそも人材がいない。

旧統一教会と自民党議員の癒着は、曖昧のまま幕を下ろそうとしている。原発政策は元に戻り、311はなかったかのようになった。来年もこの国の政治に明るい展望はなく、国民はますます貧しくなるだろう。しかしながら、「ますます貧しくなるだろう」では若者たちはどうすればいいのか。若者は自分で自分の道を切り開いていくのが当然だろとか言うレベルでは、もはやなくなっている。この国はますます悪くなっている。

 

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安倍元総理が撃たれ死亡

もはやなんでも起こる世の中になった。7月8日、奈良市の近鉄大和西大寺駅付近で選挙演説中の安倍晋三元首相が狙撃され死亡した。狙撃したのは政治的理由からではなく宗教団体からみの理由のようだ。そうであるのならば、あまりにもあっけない結末だったということになる。

安倍晋三という政治家が今の日本に及ぼした影響は大きい。この人物が行った経済、外交、安全保障などろくなものではなかった。アベノミクスは日銀が操作し株価が上がっただけである。日本経済の実体や企業の生産性は上がらない。タイプが違うアメリカのオバマ大統領とは肌が合わず、同じタイプのトランプとは親密な関係を保ち、日本の対米依存がますます強まった。集団的自衛権の行使を可能とする安保関連法の制定によって日本の安全保障が高まったわけではない。これは自衛隊が在日米軍の下請けになるものである。ところが、これらのことがあたかも日本のためになるかのような政治を行ったのが安倍晋三氏であった。このことと日本を含めた世界的な右派的な風潮と新自由主義的な傾向が一致し、安倍一強の政治世論が生まれた。良くも悪くも安倍晋三という人物がこの中核にいたのである。森友・加計学園問題や「桜を見る会」問題など人事権を持つ官邸に官僚は忖度するようになり、国民が疑念を頂くことが行われるようになった。また、安倍晋三氏は歴史修正主義であり、その歴史認識は歴史学から見て話にならないものだった。

その人が銃撃死で終わった。民主主義に対する悪質な挑戦であり、絶対に認められないという声が多いが、実際は民主主義がどうこうということではなく完全に警備の不備の問題である。元々長野へ行く予定が取りやめになり、7日の午後に奈良へ応援演説に行くことが決まったという。奈良県警は急に来たので準備不足にならざるを得なかったであろう。ということは、こうした不慮の事態を想定せずに街頭演説をしたことに問題がある。

安倍晋三氏もSPも奈良県警も、まさか応援演説中に拳銃で撃たれるかもしれないということは思ってもいなかったであろう。安倍晋三氏は首相在任中は北朝鮮からミサイルが来るとか言って危機意識を煽っていたが、安倍晋三本人と自民党には危機管理の意識などまったくなかった。思えば阪神淡路大震災も東日本大震災と福島原発事故も、自民党は政権党としての体験はしていない。このような政党が憲法改正をして再軍備をすると言っているのだ。

銃撃の時の動画を見ると、不審な者が背後から近づき筒状のものを向けている時、警備はなにもしていない。一発目の発砲があった時、安倍晋三氏はマイクを握ったまま、ただ背後を振り返るだけである。続く二発目が致命的になったとのことだ。この光景は極めて今の日本の光景だった。欧米や中国、韓国、他のアジア諸国であっても不審者が不審な動作をするだけで警備者は注視する。銃声が聞こえたら身を挺して警護対象者を守ろうとする。一発目の銃声の時がそのタイミングであった。ようするに、福島原発事故とも共通する異常事態への想像力の欠如だったのだろう。

想像力の欠如がこうした事態を招き、安倍晋三氏は亡くなってしまった。彼がこの国の政治に行ったことの本人へのきちんとした検証ができなくなったということは、計り知れない損失である。

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映画『教育と愛国』を観た

先日、有楽町で映画『教育と愛国』を観てきた。2017年に大阪のローカルテレビ局のMBS 毎日放送で放送され、ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞した番組を、追加取材と再構成によって映画版としたドキュメンタリー映画である。

人の生涯において、中学校や高校の教科書の記述の影響などまったくないのかもしれない。政府も学校も教科書業者も、中学や高校の教育はいかにあるべきかということについて莫大な労力を傾けているわけであるが、その教育を受ける側の生徒たちにとっては、中学校や高校は人生のある一時期のことであって、卒業した後の長い人生では中学校、高校の教育などまったく無関係ではないかという声があるだろう。歴史の教科書の記述が南京事件はなかったとか、沖縄の集団自決は軍の強要ではなかったとかいった記述であったとしても、生徒自身はどうでも良いことであり、学校を卒業した後は教科書にどう書いてあったのかということなど思い起こすことなどないのかもしれない。そもそも公教育というものは行政の管理下にあるものであり、国の政策のいっかんである。良き国民の育成のために、良き国民の歴史教育を行うことのなにが悪いのか。政府の教育への介入を大げさに危惧することなどないという見方があるかもしれない。

ところが、そういう話ではない。教科書に正しくないことが書いてあったとしても、生徒の側はそれをその後も覚えていることないのだからどんな記述であったっていいじゃないかという話ではない。公教育なのだから、国の管理下にあるのは当然であるという話ではない。教科書の内容は、生徒が卒業後の人生においてそれを覚えているかどうかということとは関係はない。

公教育だからこそ、政府の介入はあってはならない。時の政府が教育に介入し、政治家の見解や一部の人々の学術的な根拠のない思惑で歴史の教科書の記述が変わるということは、実は社会にとって大変よくないことなのである。

映画の冒頭に小学校の道徳の教科書に登場する話が、パン屋から和菓子屋に変更されということが述べられる。なぜパン屋ではなく和菓子屋になるのか。小学生がパン屋よりも和菓子屋の方に親しみを感じるというのであろうか。パン屋だと愛国ではなくて和菓子屋だと愛国になるのだろうか。どう考えても無理があり、誰が見てもここに違和感と作為的なものを感じるだろう。

「良き」国民とは、「良き」自国の歴史知識を持つべきものであるというのは、想像の共同体である国民国家の成立と不可分のものである。ここで重要なことは、「良き」自国の歴史知識とは、往々にして自国に都合がいい内容になるということだ。自国に都合が悪い事実を隠蔽し、未だ論争中であり定まっていないとして、自国は「正しい」「間違った」ことをしていないとする。しかしながら、当然のことながら、自国に都合がいいことは、他国には承服しがたいことである。自国が常に正しいとすることは、他国を排除、排斥することである。承服できないという他国からの声に対してまともに対応することができず、かくして嫌韓、嫌中の感情を持つようになる。

例えば、南京事件はなかったとするのならば中国は同意できない。他のアジア諸国も日本はいつまでたっても加害の事実を認めない、事実を事実として認識できない知的に低レベルの国であるとするだろう。当の日本自身、歴史資料をまともに理解することができない幼稚な国であるということになってしまう。今の時代は、自国に都合がいいだけの歴史教育ではなく、自国に都合が悪いこともきちんと教える歴史教育でなければならない。自国の歴史の良いことも悪いことも理解しているのが「正しい」ナショナル・アイデンティティーであり、そこから生まれる愛国心が「正しい」愛国心である。公教育は嫌韓・嫌中の日本国民を作るものであってはならない。

戦後の教育は、先の大戦と軍国主義への反省から生まれた。このためどうしても、反戦や平和主義やアジア諸国への加害行為の記述を行うことに傾く。これらをもって「お花畑」「自虐史観」とするのは、当時の背景を知らないといわざるを得ない。しかし、だからといって確実に「あった」ものを「なかった」「あったという説となかったという説がある」と改竄していいわけはない。また、戦後の歴史学において左翼思想が歴史解釈に影響を及ぼしていた一面があることも事実である。この映画の中で東大名誉教授の伊藤隆氏が「ちゃんとした日本人とは」という問いに対して「左翼ではないこと」と答えたことの背景には、戦後の政治というよりも歴史学の中の左翼運動を意味しているのだろう。教育の現場で日教組が支配的な力を持っていた時期も確かにあった。しかしながら、今の世の中は、左翼であることが反国家体制であるという図式はもはや遠い昔話である。日教組の組織率は下がる一方である。今の歴史学は左翼どうこうで歴史解釈をする時代ではないのであるが、伊藤隆氏の中ではあの時代がまだ続いているのであろう。

よくわからないのは、どの国の歴史にも汚点はあり、数々の汚点を抱えながら、それでも国々は和解点を見出そうとし、関係を保とうとする。ところが今のこの国のある種の人々は、この国には汚点など一切ないとし、自国に悪いことがあることを「反日」として極度に忌避する。正邪を正しく捉えることができない。たとえ「反日」であったとしても自国の内部の留め、弁証法的に向上していこうとしない。精神の懐や度量が極端に狭く浅い。というか度量という概念すら存在していない。アジア諸国を嫌悪し、周辺国との良好な関係がないことへの不安と恐怖心が、よりいっそうのアメリカ依存を求める構造になっている。これが今の我が国の姿である。

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