これまでニフティのココログで自分のブログを書いてきた。このたびConoHaWINGでサーバをレンタルして、WordPressを入れて(というかサーバとWordPress込みのレンタルで)、自分でブログサイトを立ち上げることにした。自分でサイトを立ち上げるのは、当然のことながらあれやこれやの設定をしなくてならず、それらを学んでいかなくてはならない。どうもWordPressがよくわからない。このサイトをこれからどうしていこうか、なにがどうできるのかがさっぱりわからない。まあパソコンは嫌いではないのでポツポツと学んでいこうと思う。
新しいサーバで自分のブログサイトを立ち上げるので、ブログの名前を新しいものに変えようかと考えてみたが、どうもいい名前がすぐに思い浮かばない。その昔、若い頃につけたこの「深夜のニュース」というブログ名は、もはや好きではないのである。「深夜の」というが、今はもう深夜になるまで起きていることはない。夜は早く寝ることを日課にしている。夜遅くまでパソコンの画面を見ていたり、本を読んだりするのは若いモンのやることである。歳を取るにつれ健康な生活をするように心がけることにした。
「ニュース」というコトバがあるのもなんだかなと思う。ニュースなどというものについてもはや論じたくもない。今の時代、ネットでニュースの評論は誰もができる、やっていることである。そして、そのほとんどがネトウヨの愚考である。まだ20世紀末のその昔、コンピュータが世界を変えると思ってきたが、その変わった21世紀に今こうしていると、少なくともネットの言論空間について言えば、かくも愚かしいものになるとは思っていなかった。
テクノロジーそのものは驚異的な発展をし続けているが、ヒトの性質はかつて猿人の末裔だった頃と基本的には変わっていない。地球上には未だネットが普及していない地域が数多くあるが、とりあえずSNSが欧米、アジア、中東、アフリカの全世界を覆うようになった今日では、時事についてネットで述べることは大洋にコップ一杯の水を注ぐようなものである。ましてや日本のSNSは日本語という言語に限定され、東アジアの中華圏や欧米の英語圏とは別のネット空間になっている。劣化し分断化し右傾化しているのはどこの国のネットでもそうなのであるが、その中で「ナントカのニュース」などというブログ名をつけているのは、ワタシはバカであると言っていることと同じである。
というわけで、「深夜のニュース」というブログ名はこの機会にやめたいと思った。なんかかっこいい、いかにも文人っぽくなにかの典籍や中国の古典詩文集から持ってきたものにしたいと思った。ところが、そういう凝った名前はそうカンタンには見つからない。あれこれと考えてみるが、めぼしいものが見つからない。そうこうして延々と時間だけが経っていく。そこで、もうどうでもいいわと思い、ブログ名は変えずに同じままにすることにした。
日本という国に住んでいると、驚くべきほどこの世界について知らなくなる。世界について学ぶということを意識して続けていかないと、どんどん無関心になる。世界について無関心であっていい、無関心であってもなにも困らないという「空気」がある。その意味で、世界について学び続けよと我が身に叱咤するということで「深夜のニュース」のままでもいいかなと思う。